第26回受賞:藤原帰一氏

藤原帰一氏の略歴

藤原帰一氏 1956(昭和31)年6月、東京都生まれ。
東京大学法学部卒、同大学院博士課程中退後、米イェール大学大学院に留学。
千葉大学法経学部、東京大学社会科学研究所の助教授をへて、 現在、東京大学法学部・大学院法学政治学研究科教授です。 この間、米ウッドーローウィルソン国際学術センター、ジョンズ・ホプキンス大学、英ブリストル大学の客員教授等も歴任しています。

専攻は国際政治・東南アジア政治で、著書・論文等は多数にのぼりますが、近著では受賞作のほか

『戦争を記憶する』(2001年・講談社現代新書)
『デモクラシーの帝国』(2002年・岩波新書)
『「正しい戦争」は本当にあるのか』(2003年・ロッキング・オン)
共編著等で『テロ後、世界はどう変わったか』(2002年・岩波新書)
『「イラク戦争」検証と展望』(2003年・岩波書店)
『国際政治講座』(2004年・東京大学出版会)

などがあります。
映画が大好きで、雑誌『論座』に「映画のなかのアメリカ」を連載中です。

受賞の挨拶

 「石橋湛山賞」をいただき心から感謝しています。 日本の思想の中で石橋湛山に学ぶことは大きな意味がある訳ですが、 私がその末裔に連なるのは少しおこがましい気持ちです。

 実は私の人生には最初から、石橋湛山あるいは東洋経済新報社の影響がありました。 私の母方の祖母は三浦銕太郎(東洋経済第4代主幹、1874~1972年)の姪にあたり、三浦翁は私から見て「大々叔父」です。「帰一」も三浦翁が下さった。 私が生まれた1956(昭和31)年、日本の国連加盟が実現し戦前来の孤立から脱却する。 ソ連でスターリン批判が行われ「雪解け」がいわれます。そこで三浦翁は宿願の「世界が一つになる」と考えた訳です。 その後30以上冷戦は続くのですが、この重すぎる名前を堂々と付けてしまった。すでに82歳だったジャーナリストの気概だと思われます

 私がこの重い名前に応える志を持っているとは思えませんが、学ぶべきものはいくつかある。 例えば資本主義・市場経済に対する心からの信頼――これは石橋翁、三浦翁を貫いた精神だと思います。 また国際関係は権力闘争の世界、戦争と平和の世界ですが、しかしそこには最低限のルールが実はある。 このような国際関係に対する理解も、戦前の東洋経済新報社に集まった人々――石橋湛山・三浦銕太郎の二人だけではないと思いますが、強く信じたことなのです。

 この『平和のリアリズム』は、その思想にかなったものではとてもありませんが、その、資本主義を信じ、また国際政治という制度を信じるということは、 単に商売をするとか、戦さをするということとは、ちょっと違ったものがある。 そのような観念を、これからも研究の中で、また教育の中で、ぜひ生かしていきたいと思います。 その意味で、この賞をいただきましたことを、あらためて心から厚く御礼申し上げるしだいです。

受賞記念講演「現実主義者の平和構想」― 「平和 のリアリズム」をめぐって ―

国際関係は切った張ったの世界、権力闘争の世界ですが、そのままにしておけば共倒れになってしまう世界でもあるわけです。 そこで共倒れにならない限度まで戦争は抑え込もうという観念も生まれてきます。 国際関係を信じるというのは、権力闘争を特徴とする国際関係においても最低限の秩序をつくることができる――そんな考え方ではないか。 石橋湛山翁は、日中戦争前夜においてなお戦争の合理性を疑うことによって、一丸となって戦争に向かう日本でも国際関係について一定の見識を持ったいた人であったといえる。

 この、国際秩序を考えることが本日のお話しです。 題目は「現実主義者の平和構想」、大変大げさな題名ですし、これだけでも「いったい何だ」という方がおいででしょう。 というのも、現実主義という考え方は、普通、平和の構想とはおよそ正反対だと考えられるからです。 戦争は避けられない、それが国際政治の現実だという議論と、いや、そのような世界はいけないのであって、平和を実現する世界をつくるべきだという理想主義、 この現実主義と理想主義がぶつかるところで国際政治の議論が行われてきた――これが戦後日本における国際政治という分野の、一つの特徴だったのではないかと思っています。

 私はこれは間違いだと思ってきました。このように議論を立ててしまえば、ここで言っている現実主義とは、結局ただ現実の追認になってしまう。 また逆に平和主義とは、どうせ実現しそうもない夢物語を語るという理想主義になってしまう。これでは展望が開かれることもありません。

 … 中略。項目では …

1.資本主義、国際関係の「制度」を信じた石橋翁
2.手段としての戦争を認めたウェストファリア条約
3.緩和と強化のサイクル描く戦争規制ルール
4.平和とは「平和主義」の原則論ではない
5.軍事的リアリズムからの平和の擁護
6.民族自決、ナショナリズムを一般化する危険
7.民主主義の名の下に、必要ない戦争が
8.理想主義と現実主義を超えて

 ……
しかしながら、このような散文的でプラグマティックな平和という条件を、平和主義とか地政学とかナショナリズムとか民主主義とかそれぞれに、 場合によっては偏見と理想主義が混ざってしまった、壮大な構想と一緒にして考えてしまう時に、現実には権力の暴走が生まれてしまいます。 そのために、現実主義者――ここでは政治権力の現実をそのままのものとして見るという意味での現実主義者ですが、 現実主義者として平和を語る意味が今なお残されていると考えて、この本を書いたわけです。 これが、日本で語られてきた理想主義とか現実主義とも違うものであるということは、申し上げるまでもありません。 そして、われわれが今とるべき道は、憲法九条堅持と叫ぶことでも、また、逆に憲法改正による平和を期待することでもなくて、 むしろ具体的な紛争の中でどのように選択がありうるのかを考える、地味な作業ではないかというふうに考えております。

 ご清聴ありがとうございました。

「自由思想」101号(2005年11月発刊)に全文を掲載

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