第28回受賞:毛里和子氏

毛里和子氏(早稲田大学政治経済学術院教授)
『日中関係』
(岩波新書 18年6月刊)

毛里和子(もうりかずこ)氏の略歴

毛里和子(もうりかずこ)氏 1965年(昭和40年)東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。(財)日本国際問題研究所研究員、81年在上海日本国総領事館専門調査員。静岡県立大学国際関係学部教授、横浜市立大学国際文化学部教授を経て、現在 早稲田大学政治経済学術院教授。

著書:
『日中関係ー戦後から新時代へ』(岩波新書)
『新版 現代中国政治』(名古屋大学出版会)
『現代中国政治を読む』(山川出版・世界史リブレット)
『周縁からの中国ー民族問題と国家』(東京大学出版会)

他 多数

受賞の挨拶

「石橋湛山賞」を受賞して
「石橋湛山賞」を受賞して――毛里 和子:

何によりも選考委員の3人の先生方、石橋湛山記念財団、東洋経済新報社などに対して、心から感謝申し上げます。

実は日中関係は私にとって一番やりたくないテーマだった。日中関係を書くとどうしても湿っぽくなるし、日本人からも中国からも何らかの文句が出る、学問ではない面があるといえる。今回も日中交渉の現場にいた人から「あれは違う」と抗議を受けた。

5年前から中国の外交関係を課題とした大きなテーマに取り組んでいたが、その途中2005年4月の反日デモを見て大変な衝撃を受けた。完全に予測を超えた出来事であり、対する日本の反発も予測を超えた。その熱狂の中には過去からは見出しえないもの、違うものがあった。

ここは一つ、私たちの世代として言い残しておかなければならないものがあると考えて、新書としてを書き始めたのです。とはいえ書き出して苦労の連続、芳しからざるテンポで止めようかとも考えた。その都度、岩波新書編集長・小田野耕明さんが思いやりある支援してくださった。

私の主人は日中関係に無縁の者ですが、過去に頂戴した賞の中でも「今回の賞がいちばんうれしい。名誉である」と言ってくれた。賞を貰ったからには、「石橋湛山先生のお墓に」と、先日、谷中の善性寺にお詣りしてきました。

日中関係だけではなく、日本の外交面からのアプローチ、米中関係との対比と展望、ダイナミックな国際関係を追跡しつつ、今後とも努力したいと思います。

毛里和子教授・受賞記念講演

「新日中関係と東アジアの地域主義――戦後から新時代へ」から

この『日中関係』を著すにあたって私は、若い世代に、できれば日本と中国の望ましい関係を築くような考え方を持ってほしいという意味で、いわば「遺言」のつもりで、ある種の使命感から書きました。これが、非常に伝統ある、そしてわが尊敬する石橋湛山氏を記念した賞をいただけるなどということは、本当に晴天の霹靂でありまして、たいへん嬉しく、また名誉であります。

1、湛山の自由主義・自我――戦前・戦後の一貫性

私は、石橋湛山氏は戦前及び戦後を通じてみごとに一貫していたという点で希有な人物であり、一度きちんと再評価をされなければいけない人物だと改めて感じます。大ざっぱに申し上げれば、要するに執筆活動を始められた1910年代からずっと、植民地とか租借地とかあるいは暴力を伴う「帝国主義の時代は去った」という、非常にはっきりした時代観念を持っておられました。当時こういう人物はきわめて稀だったと思います。

それから、自由主義経済の無限の可能性について「信念」を持っておられました。戦前も、戦後も、自由主義経済について極めてオポチュミスティックな楽観主義者であられた。

もう一つ、これは私自身とても共鳴する点ですが、インディビュアルな自己というものが最後の砦であることを示したことです。徹底した近代個人主義を持っておられる。

それからなんと言っても民主主義者です。吉野作造と石橋湛山氏とは比較されることもあるでしょうが、吉野作造とはまた違う、現代日本に通じる民主主義者だということを痛感いたします。

だが、何よりも中国論・アジア論を貫いているのは経済合理主義です。二カ月で首相を辞任されたのが1957年2月ですから、既に50年たった今、私が問いたいのは、ご紹介したような彼のこういう考え方や「行き方」が、どれほど今日的意味をもつだろうか、われわれは何を継承したらいいのか、という点です。
……(中略)……

2、日中関係の「七二年体制」は終わった

さて、日中関係で私自身の考えを5点にわたってお話しいたします。

いきなり結論から入るのですが、一つは、1972年に田中角栄総理と大平正芳外相が北京に行って3泊4日の交渉をしました。この交渉によって「日中共同コミュニケ」ができました。日本と中国との間の不正常な関係にようやく終止符を打ったのです。日本は賠償を払わずに済んだ。一方で台湾については、これまで正統政権として認めていた台湾の代わりに大陸中国へとシフトしました。

しかし、この日中間の「72年体制」というのは、もう終わったのではないか、と考えます。新しいコンセプトとか、新しい日中二国間のフレームワークが必要になっています。それを告げたのが一昨年2005年4月、中国に突然起こった大規模な反日デモです。この本『日中関係』は、その反日デモを受けて、「ああ、これではいけない」とつくづく考えて、嫌な仕事だなと思いながら何とか書き切った書物で、これがお話したい第一のポイントです。
……(中略)……、以下、項目で、

3、復交後の洞察欠く日本、世論除外の中国決断
4、良くはないが最悪でもない日中双方のイメージ
5、中国貿易にとって日本は「三分の一」の一部
6、想定される日中間イシューと制度的関係への提案
7、「地域主義」における日中関係の構想

最後がわれわれが考える「東アジアの望ましい地域秩序」です。これについての議論は十分に深まっていませんが、経済・文化・政治が実に多様な東アジアの中での共通したアイデンティティとして言えるのは、やはり市場合理主義――石橋湛山氏の描くような市場メカニズム、市場が持つ一種の価値合理性、この辺が唯一のアイデンティティかもしれません。文化的にも政治的にも全然オリエンテーション(方向性)は違いますから、唯一働いているアイデンティティは、マーケットという訳です。

それらによって作られる国際システムとしては、基本的には各国家の主権が前提とされるけれども、たとえば共同災害プロジェクトとか、環境保全プロジェクトとか、危機管理とか、人権推進プロジェクトとか、貧困救済地域共同プロジェクトなどのような場合には、これらを動かすために、諸国の主権の一部は共同体に移譲されることになります。その意味ではウェストファリアとは異なる、「ネオ・ウェストファリア・システム」であると、私は考えています。

現代がそのような時代であるとすれば、石橋湛山氏が1910年代あるいは1950年代に考えた、世界秩序とその中での日本のあるべき行き方と、現代にわれわれが直面している課題や解決方法にどのようなつながりがあるのか、「石橋構想」の何が果たして継承できるか、などを検討し直して見る必要があります。以上のような問題提起に私はまだ答えをもっていませんが、志のある方にぜひご検討いただければ幸いであります。

今日はこのような席で私の拙いお話をする機会を与えて下さったことに、心からお礼を申し上げます。ご清聴ありがとうございました。

「自由思想」108号(2007年11月刊)に全文を掲載しています。

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