第36回受賞:若宮啓文氏

若宮啓文著
『戦後70年 保守のアジア観』

若宮啓文 (わかみやよしぶみ) 氏

若宮啓文 (わかみやよしぶみ)
1948年東京生まれ。
東京大学法学部卒業。1970年朝日新聞社入社、横浜支局、長野支局をへて、本社政治部、論説委員、政治部長、論説主幹、主筆を歴任。2013年朝日新聞社を退社。
現・日本国際交流センター・シニアフェロー。慶應義塾大学、韓国の東西大学、ソウル大学などで客員教授も務める。

著書

受賞の挨拶

「石橋湛山賞」記念特集③
受賞者あいさつ柔らか頭でとんがろう――

―湛山さんの柔らかい発想に学んで―
若宮啓文

どうも本当にありがとうございます。なんか緊張しております。

七月末に石橋理事長から突然、電話をいただいて、本当にびっくりしまして、青天の霹靂というのはこういうことかと思いました。 こういう賞をいただくという経験もなくて、もらうものと言えばネット右翼の罵詈雑言ぐらいのものですから(笑)、本日は素直に喜んでおります。 ありがとうございました。本当にいろいろな方の知恵をかりてつくった本ですから、多くの方にお礼を申し上げたいと思います。

中でも、今ここにいらっしゃらないというか、この世にいらっしゃらないお二人の方の力によってこの本ができたというお話をしたいのですが、 一人は山本正さんであります。たまたま今、私がお世話になっている日本国際交流センターの創立者です。 山本さんは日米民間人らによる日米下田会議をやっておられたのですが、94年のこと、突然、ちょっと頼みがあるという電話があって、 駆けつけたら「下田会議を秋にやるのだが、今回はアジアの中の日本をテーマにしたい。その討議の基になるペーパーをつくってほしい」と。 当時、戦後50年を翌年に控えてさまざまな議論があった頃です。妄言のたぐいもいろいろ出ていました。 「日本の政治がなぜなかなかアジアとの和解がままならないのか。その辺の背景を含めて戦後政治のアジア意識について書いてほしい」と言われたのです。 びっくりして、「冗談ではない。そんなものがあったら私が読みたい」と言ったら、山本さんが「いや、あれば別に頼まない」と。(笑)

当時、日韓フォーラムという対話の場ができて間もなかったのですが、そこでの私の議論などを聞かれて、頼もうと思ったらしいのです。 さらに、下田会議の有力メンバーであるジェラルド・カーティスさん(コロンビア大学教授)に引き合わされ、一緒に口説かれました。 私にはとても無理だけれど、こんなことが考えられますかねと言って、岸信介さんが巣鴨プリズンから出てきた冷戦のメカニズムとか、 戦後政治にレールを敷いた吉田茂さんが本来持っていた高圧的アジア観であるとか、石橋湛山のような方がいながら、 戦後なぜ、その石橋路線に花が咲かなかったのか、というようなことを言ったのだと思います。 そうしたら、それでいいから書いてくれとおだてられて、七転八倒しながら書いたペーパーが下田会議に出されたのです。

ありがたいことに、それを中央公論がほとんど全文転載してくれました。そこに朝日選書の当時の編集長で渾大防三惠さんという方がいまして、 彼女が駆け込んできて、「若宮さん、中央公論を読みました。これで本をつくりましょう」と言うのです。 そのときは、もう戦後50年の年になっていて、これは今年にふさわしい本になると説得されて、またまた蛮勇を振るってつくったのが、 この本のオリジナル版です。『戦後保守のアジア観』というタイトルでした。

ですから、山本さんと渾大防さんがいなければ、今回の受賞はおろか、この本が生まれることはなかっただろうと思います。 私のライフワークになることもなかったのではないか。真っ先に天上のお二人に報告し、感謝を伝えなければいけないと思っているわけです。

私は、長く政治記者をやりましたけれど、残念ながら時代が違うので石橋湛山さんにはお目にかかれませんでした。しかし、私が取材を通じて、 最も知性のある政治家として認められていた二人から石橋さんの話を聞くことができました。

一人は宮澤喜一さんであります。

宮澤さんにいろいろな話を聞いたとき、「あなたがいちばん評価する政治家は誰ですか?」と聞いたら、「うーむ、困りましたな」とか言いながら、 真っ先に挙げたのが石橋さんでした。ちょっと意外でした。池田勇人さんとか、吉田茂さんとか言うのかなと思ったらそうじゃなくて、まず石橋さんを挙げた。 それは、戦前の小日本主義というのを読んでいて、その頃から「心腹していた」という言葉を使われました。さらに、改めてすごいと思ったのは、 戦後、大蔵大臣としてGHQとわたり合って、ある政策をめぐって論争になった。そのときGHQの将校相手にまったく臆することなく、 あなたの言うことは間違っていると主張した、と。そのためにあれだけのリベラリストが公職追放に遭ってしまった。 「本当にあの方には総理大臣を長くやってほしかったと心から思っている」というふうにおっしゃったのです。「尊敬」という言葉をあの宮澤さんが何度も使われた。 そういう政治家はほかにいないのではないかと思うのです。

それからもう一人は、社会党の河上民雄さんです。

河上丈太郎さんの長男です。国際政治の教授でもあり、私はいろいろなことを伺いましたが、河上さんは石橋さんを中心にした研究会に何度が出席してお話を聞く機会があったというのです。 そのたびに、まことにそうかと思うお話をされて、「目からうろこが落ちる」というのはこういうことかと思う経験を何度もしたとおっしゃっていました。 河上さんがそれを書き残したものもあって、その中で私がいちばん感心したのは、明治天皇が亡くなったとき明治神宮ができるわけですね。 お墓を京都にもっていかれたので、当時の東京市長がひどく残念がって、その代わりに神社をつくろうというので大募金を集めた。 そのとき石橋湛山は、「愚かなるかな神宮建設の議」というタイトルの論文を書いて、これは何と愚かなことかと論じた。

その心は何かというと、湛山さんは明治天皇は立派な人だと思っているわけです。これだけのおカネを集めるなら、ノーベル賞に匹敵するような世界に誇れる賞をつくって、 しかも東西の架け橋になれるような人物にそれを贈ったらどうかと提言しているのです。今回、改めて河上さんの書いたものを読み直して、そういうことだったなと確認しました。 湛山さんというのは、すごい肚と同時に、実に柔らかい発想を持っておいでだったなと思います。

私は朝日新聞の論説主幹の時代に、社説をつくるに当たって、よく「闘う社説を」と言ったんですが、その際、キャッチフレーズにしたのが「柔らか頭でとんがろう」なんです。 とんがっていくには、柔らかい頭でやっていかないといけない。硬い頭でやみくもにけんかしてもダメだというような趣旨ですが、湛山さんは元祖、柔らか頭でとんがった方ではないか。 そういう意味でも湛山賞の受賞はたいへんうれしく思っています。

今回の本は、二度の改訂を経て出した本です。二冊目は「和解とナショナリズム」としました。20年かけて三冊、その都度タイトルを変えたので、 口の悪い後輩からは「グリコの看板みたいですね」と言われました。(笑)道頓堀の看板は六回目だそうですが、私はその都度、看板だけでなく中身も少しずつ変えてきました。 二度目は小泉首相の時代をフォーカスして取り上げたのですが、今回は安倍晋三さんが最初の安倍政権と違ってかなり正体をむき出してきたので、そこに課題が浮かび上がった。

そういう意味では、安倍さんにもたいへん感謝しなければいけないのかと、複雑な心境なのですが。(笑)

再び湛山さんの話になりますが、戦後、64年に連載されたものが、後に『湛山座談』として発刊されています。 その中ですごいなと思ったのは、湛山さんが「私がいちばん恐れているのはナショナリズムだ」と言っていることです。 資本主義と共産主義はいずれ一緒になるときが来るでしょう。しかし、そのとき、なおかつ最後まで残る問題がナショナリズムの対立でしょう、とおっしゃっているのです。 これが50年前のことです。

今日、ソ連がなくなり、中国も経済が資本主義化している中、逆にナショナリズムが出てきているわけですね。 さすが湛山さんだったなというふうに思い、それを私が課題にしているところに何か因縁も感じるような気がいたします。

湛山賞をきっかけにして、これから頑張れという田中秀征さんからの叱咤もいただきましたので、これは登竜門であると心得て、また改訂を何回か重ねていけば、 グリコの看板に追いつくかもしれない(笑)、と思って頑張るつもりですので、どうぞよろしくお願いします。

ありがとうございました。(拍手)

選考過程と授賞理由

2015年度・第36回の「石橋湛山賞」(石橋湛山記念財団主宰、東洋経済新報社協賛)受賞作は、日本国際交流センター・シニアフェローの若宮啓文氏による 『戦後70年 保守のアジア観』(朝日新聞出版、2014年12月刊)に決定いたしました。全国の有識者からご推薦いただいた40篇を超える著作・論文の中から、 厳正なる審査を経て選考されました。

朝日新聞社で政治記者から論説主幹、主筆などを務めた若宮氏は、自民党を中心とした保守政治家がアジアとどう向き合ってきたのかを早くから追い続けてきました。 受賞作は著書の『戦後保守のアジア観』(1995年)、『和解とナショナリズム』(2006年)をベースに、全面的に書き換えた集大成版です。 アジアとの和解と反発の間を揺れ動く戦後政治の姿を、数多くの現場に立ち会った豊富な経験から臨場感たっぷりに読み解き、東アジアの「波高き海」を「平和の海」にするべく、 政治指導者たちにいっそうの英知を求めています。

選考委員が一致して本書を推薦したのは、急速に進むこの国の政治やメディア状況の劣化に対して警鐘を鳴らす役割を期待したからです。 「思想的にかなりの幅があり、それを認め合う寛容さが売りものだった保守」の政治家の一人である石橋の言動についてもよくフォローし、その役割を高く評価しています。 この意味からも、本書は「石橋湛山賞」にふさわしいものとされました。

授賞式

授賞式は10月23日、東洋経済ビル9階ホールで行われました。始めに石橋省三財団代表理事から 「今回から選考委員を二名増やし、田中秀征氏と山縣裕一郎東洋経済新報社長にお願いしたこと、侃々諤々の議論の結果、満場一致で授賞が決定したことなど」の報告の後、 賞状・盾・副賞が若宮氏に授与されました。

続いて、選考委員を代表して、田中秀征氏から講評があり、これに対して、若宮氏からは受賞のことばが述べられました。 また上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科・宮城大蔵教授から祝辞があり、出版元の朝日新聞出版社・代表取締役社長の青木康晋氏からも祝辞が述べられました。

この授賞式には、財団関係者や来賓のほかにも、若宮氏の友人や、高校時代の同級生、朝日新聞の後輩、慶応ゼミの教え子など20人余りの方が、授賞を祝って、 駆けつけて来られ、これまでにない多くの参加者で行われた授賞式となりました。

この後、食事をとりながら行われた二部では、選考委員でもある東洋経済の山縣社長の 「この本の中で岸信介氏と石橋湛山が鋭く対比されて、著述されており、石橋湛山を通じて、本書を読むと現代の問題をどう考えていいかというたくさんの示唆が含まれている」 との祝辞に始まり、選考委員の叶氏の講評と祝辞、評論家の佐高信氏、朝日新聞社で二期先輩にあたる早野透氏(桜美林大学教授・財団評議員)、河野洋平氏(元・衆議院議長)など、 各方面からの多彩なはなむけの言葉で彩られるなか、授賞式は閉会となりました。(講評・受賞のことば、祝辞は次頁以下に掲載)。

なお、受賞記念講演は同日、若宮氏によって「保守政治の変質と『価値観外交』の罠」(今号に全文掲載)との表題で行われました。

講評の様子

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