石橋湛山評論集

石橋湛山評論集~世界開放主義を掲げて

昭和11年9月6日・19日号「社説」

決して東亜における我が国の利益を棄てることを意味しない。棄てなければならないのはただ独占という事だけだ。東亜の天地は世界の諸国民に向って平等に開放せられる。而してその上に、世界の総てがまた諸国民に向って平等に開放せられるのである。我が活動舞台は構成に全世界に拡がるのだ。これがどうして我が国の・・・躍進日本の経済にとって利益ある状態であり得ないだろう。

右に反して東亜独占主義を方針とする時は、東亜の利益はあるいは多く我が国に得られるかもしれぬ。が東亜以外の世界は我が国に対して鎖される。絶対的に鎖されないまでも、種々なる障害が加えられる。しかも東亜における利益といえども、果たして善く我が国に確保せられるかどうかは疑わしい。それは最近の日支の関係を見ても察せられる。

あるいは我が国が東亜独占主義を棄てる時、列国はこれに対して果して記者の要求の如く、その植民地の貿易を解放しないし輸出の調整に誠意を示すかどうかと心許なく感ずる者もあろう。いかにもさようの約束をかつていずれの国もしたことはない。しかし、世界の諸国は、その一つとして今日の通商の不自由に苦しみ、これに伴う国際不安に恐怖を感じていない者はない。米国の政府首脳者が前号に述べた如き声明をしばしば繰り返すのも、つまりはその懊悩を表示させる悲鳴だ。ただしかし彼らはこの世界の現状を打開する手懸りを発見することが出来ない。そこで彼らは互いに誰かこの現状打開の先達をなし、手懸りを与える者はないかと待っているのだ。こういう場合に、もし我が国が東亜におけるその政策を解放主義とし、是を掲げて世界全体の開放を主唱するのならば、記者は必ず世界を我が指導の下に動かし得ると確信する。

顧みるに我が国の国際政策は、従来常に欧米の跡を追い、その糟粕を嘗める以上に出でたことはない。東亜独占主義とういう如きも、畢竟するにそれに過ぎない。しかしもう、日本もそんなケチな立場を棄て、進んで世界を指導する雄大な気象を持って善い時だ。然して始めてまた我が国運の前途にも今日光明がある。

ページの先頭へ

copyright © The Ishibashi Tanzan Memorial Fundation All right reserved.