石橋湛山新発見論文

新発見論文 「経済の定義」

『石橋湛山全集』

未収録論文 「経済の定義」 …… 石橋湛山
―『理想』1938(昭和13)年12月号掲載―

[解説]
この「経済の定義」は、月刊『理想』(理想社発行)の1938年12月号に掲載されたもので、
『石橋湛山全集』の 「論文目録」にも記載がなく、新発見の論文です。
全文は「自由思想」第104号のほか、2011年刊行の同全集第16巻(補巻)に掲載されています。
論文内容
此の頃は、経済ばやりで、統制経済だの、全体主義経済だのと、所謂児童走卒に至るまで経済を論ぜぬ者はない。ところが其の「経済」とは何かと云うと、可笑しな事に、之が正体は甚だはっきりしない。一般には彼等の生業又は衣食住に関する生活ぐらいの意味に、ぼんやり考えているようだ。
併し人間の職業或いは生活(それを最も狭義に所謂物質生活だけに限っても)が即経済でないことは明かだ。若しそれが「即経済」であるならば、人生には経済以外のものは、甚だ僅かになるであろう。 そんな事は、誰が考えても常識が許さない。
――― (中略) ―――
思いの外に以上の話が長くなって、もう紙数が尽きて来た。後はずっと端折らなければならない。然らば経済とは真当は何を指すのかと云うと、私は斯う解釈する。経済とは人間が其の無限の欲望を最大限に満足し得る如く与えられたる有限の手段を配分する事であると。人間の欲望が無限であること、然るに之を満足する手段(其の最も重要なるものは我々の労力だ)が有限であることは、証明を要せぬ基本的な事実だ。従って人間は此の有限の手段を以て、無限の欲望を最も多く満足し得るように、其の有限の手段を諸欲望に向かって適切に配分することが必要だ。経済とは、此の適切の配分を計慮し、之に従って行動することを云う行為と云うものも、其の全体を経済と云うことは出来ないが、併し其の行為が前期の計慮に支配せられている限りに於て経済である。
――― (後略) ―――

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