石橋湛山新人賞NEWCOMER
第11回
受賞作
川鍋 健氏
人民の、人民による、人民のための憲法
― アキル・リード・アマールの憲法論から ―
佳作
後藤 倫子氏
ジェノサイド条約の成立におけるラファエル・レムキンの影響 ― ジェノサイド条約の準備作業以前のラファエル・レムキンの条約構想の分析を通して ―
選考過程
石橋湛山記念財団では2008年度から、若手研究者を対象に、石橋湛山の思想(自由主義・民主主義・国際平和主義)に、直接・間接に関わる優秀な研究を表彰したいとの趣旨で、「石橋湛山新人賞」を創設し、今年で11回目を迎えました。
選考の対象とするのは、①政治・経済・社会・文化・宗教等の人文・社会科学系領域、②原則として修士・博士課程の大学院生、③過去一年の間に『大学紀要』など機関誌、学会誌等に発表された論文で、④全国の主要大学人文・社会科学系学部、主要学会等に推薦を依頼した結果、応募のあったものです。第一次審査委員の審査を経て、選考委員の最終協議にて決定します。
最終選考委員は伊藤元重(学習院大学教授)、酒井啓子(千葉大学教授)、藤原帰一(東京大学教授)の各氏と石橋省三(当財団代表理事)の4名です。
11回目を迎えた今年度の新人賞は、川鍋健(かわなべ・たけし 一橋大学大学院法学研究科博士後期課程)さんの「人民の、人民による、人民のための憲法ーーアキル・リード・アマールの憲法論からーー」に、また佳作として、後藤倫子(ごとう・りんこ 同志社大学大学院博士後期課程)さんの「ジェノサイド条約の成立におけるラファエル・レムキンの影響ーージェノサイド条約の準備作業以前のラファエル・レムキンの条約構想の分析を通してーー」の二本の論文に授賞いたしました。
2月14日に開催された最終選考委員会で、両氏に授賞することとなりました。なお、今年度、授賞論文のほかに第1次選考委員会を経て最終候補作となったのは、加藤之敬氏さん「『ホメロスの競争』における『競争』概念」(上智大学大学院)です。
授賞式は、3月2日に東洋経済ビルで行われ、受賞者の川鍋、後藤両氏の他、最終選考委員の藤原・伊藤の両教授(酒井教授は都合で欠席)、また川鍋さんの指導教員・阪口正二郎一橋大学教授、後藤さんの指導教員・坂元茂樹同志社大学教授、のほか財団関係者が出席して行われました。
はじめに、主催者を代表して、石橋省三当財団代表理事が、
「11回目を迎えた新人賞、応募論文の数は本前後と変わりはないが、内容が質的に密になってきた。応募する大学も当初一部の大学に偏っていたが、昨今は全国の大学から応募があり、人文・社会科学系の若手研究者を支援するという本賞は定着してきた。」と挨拶した後、お二人に、賞状・副賞などが授与されました。
最終選考委員の藤原教授、伊藤教授から選考にあたっての講評をかねたスピーチが行われました。
これに対して、川鍋さん、後藤さん から謝辞が述べられました。
川鍋さんは「専門論文ですが、法学研究者でない、一般の方の問題意識とも通ずるところがあったから、この賞をいただけたのかと、思っております。私自身は憲法改正は国民投票でやるのが筋だという問題意識をもっていますので、アマールという憲法学者を題材にして論文を書きました。一つの考え方を示す意義はあったのではないかと思います。」と述べられました。
また、後藤倫子さんは「 この論文を書いた2018年はジェノサイド条約が成立してから70周年の年でした。ジェノサイド条約を専門に研究されている方はほとんどいません。この受賞をはげみに、ジェノサイド条約の研究者といえば、私の名前がでるような研究者をめざして、努力していきたいと思います。」と話されました。
この後、お二人の指導教員の阪口教授、坂元教授からも祝辞が述べられました。
その後の懇親の席でも、何人かの財団役員から、テーマの現代的意味を考えると、今回の両論文は大変興味深いとの旨の発言がなされたのが、印象的でした
選考委員講評
藤原帰一(東京大学大学院教授)
このたびは受賞おめでとうございます。 川鍋さん、後藤さんおめでとうございます。
賞を受賞する方は、選考する方は落とすことばかり考えているのではと、お考えになるかもしれませんが、これは大変な間違いでして、「いい論文がないかな」と探しているんですね。拝読した論文の中にいい論文があるときは、選ぶのは大変でも、やりがいがある。「これはどうかな」というものが続いてくると、選ぶだけじゃなくて、だんだん張り合いがなくなってくる。今回はお二人に論文を出していただいて、読む側として非常にうれしい思いをいたしました。
まず川鍋さんの論文は、イエール大学で活躍している二人の憲法学者、ブルース・アッカマンとアキル・リード・アマールの憲法論を通じて、裁判所の違憲立法審査と民主主義の関係について検討をおこなった作品です。これは大変シンプルで、しかも深みのある課題ですね。つまり、「選挙によって選ばれたわけではない裁判官が憲法典を解釈して、そして、選挙で選ばれた議員によって定められた法律を審査するというのはおかしいじゃないか。」という議論が当然あり得るわけですね。このシンプルな問題からさまざまな広がりがでてきます。憲法上の条文と起草者意思を根拠として考えていくのか、人民の自己統治ということを中心に考えていくのか、ここに一種のアポリアがあるわけですけれども、この課題について憲法と民主主義のトレードオフのように一見見える関係を、アッカマンと、アマールの憲法論を通じて、大変丁寧にわかりやすくフォローされた論文だと思いました。
これには審議で分かれた点があるのを補強しなければなりません。というのは、最後の方に日本政治の現状、そして憲法改正についてのさまざまなありかたについて、さまざまな記載があって、そのこと自体については、審査する側に、全く疑問はなかったのです。 「そこがあったから、さらによかった!」という審査委員と「それをやるんだったら、もっと準備して書いてくれ」という審査委員、実は私ですが、があって、これは、これからのご研究として、比較憲法の視点、比較法の視点から、日本国憲法の改正についての議論を、改めてふりかえって、展開されると、最後の数頁に書かれている議論が、言ってみれば議論の本体となる展開が期待できると思いました。
ということで、論文が優れているということと、これからの発展の可能性に期待するということで、賞にふさわしいと考えました。お祝いとお願いを申し上げます。
また、後藤さんの論文「ジェノサイド条約におけるラファエル・レムキンの影響」。これは、ジェノサイド条約を提案したレムキンが、条約準備過程にどのような影響を与えたのか。これは大変魅力的なテーマです。そして、いうまでもないことですが、ジェノサイド条約というと、ナチス・ドイツによるユダヤ人をはじめとする多くの人に対する虐殺、その影響から考えることですが、必ずしもそうではない。もう少し幅広くレムキンの構想の背景をたどって、さらにジェノサイド条約が成立する過程について、ご検討されています。
これはいってみれば、現代、非常に意味が深いだけではなくて、国際法としてはかなり踏み込んだ条約なんですね。ジェノサイド条約は伝統的な国際法とは明らかに違う性格をもったものですから、その先進性を考える意義がありますし、またそれまでの国際法とジェノサイド条約との間のギャップも考えなければなりません。
その点でその条約のオリジンをたどっていく、これは適切な手法だと思いました。敢えてさらにお願いをいたしますと、ジェノサイド条約の起源についてのご議論に加えて、ジェノサイド条約の解釈・運用を含めた、条約成立後の展開を検討し、そこに制定者の意思、何を考えていたのかとのつながりが見えてくると、さらに魅力的な論文になると思います。
ここでも、優れた論文であるということと、これからの将来性を含めて、佳作にふさわしいものと判断した次第です。
伊藤元重(学習院大学国際社会科学部教授)
川鍋さん、後藤さん、おめでとうございます。
私は、この選考委員には、途中から参加しまして、正直ちょっととまどったところがありました。私の専門は経済学ですので、経済学のアカデミア以外の他の分野のことは、なかなかわからない。そこで評価がでてくるわけですね。(経済学では評価する場合に)定理の証明とかデータの扱いとか。そういう意味では、社会科学の中で経済学は、ちょっと特殊な位置にある。
その経済学の人間が、他の分野、今回で言うと、憲法の問題とか人権の問題とかについて、何か評価できるかというと、内心忸怩たるものがあります。ただ藤原先生のような立派な審査委員がいらっしゃるので、いま詳しくご説明があったように、お二人の論文については受賞に値するものと評価されました。
ということで、何年か前に委員となったのですが、最初の年、何本か論文をいただきまして、途方にくれました。何を書いているか、よくわからないし、多分あまりよくない論文だろうと直感的に思ったのですが、その年は入賞作がなかったのですね。
今年に関してみると、お二人とも書いてあることは明快で、私のような者が読んでも、そこに書いてあることの問題意識が伝わってきますし、ましてや、ふだん、憲法や人権などの問題について、それほど深く考えているわけではない者にとっては、こういう形で、川鍋さんの憲法の論文などを読ませていただくと、これまで考えたことのなかったような視点から、問題を考えることが出来て、一読者として読む上では、大変参考になりました。ジェノサイド条約についての後藤さんの論文についてもそうです。
考えてみたのですが、社会科学の研究者、一方で、その分野でのアカデミアの評価、ルールに合わせないと、なかなか評価されない。それはそれで重要なことなのですけれど、他方で社会科学は、幅広く社会全体にとって重要です。
特に若手の研究者の方は、ともすると、その分野で成功するために、自分たちの〝業界のルール〟に従って、仕事するということで、自分で自分を縛ってしまう結果になることもある。そういう意味ではこういう賞に応募されるということで、より問題の本質的な、あるいは将来にむかっての大きな構想を抱く研究ができることも大事だろうと思います。
今年のお二人は十分期待に答えられるような成果を、我々に出してくれました。
酒井啓子(千葉大学法政経学部教授)
受賞、おめでとうございます。
お二人のそれぞれの論文は、いずれも研究対象をじっくり丹念に読み込み、それをもとに緻密な議論を展開する、ダブル受賞にふさわしいものでした。
川鍋さんの「人民の、人民による、人民のための憲法」は、アメリカ憲法学で90年代以降議論になった立憲主義と人民主義との間の対立的関係について、イェール学派のアマールの、人民主義に基づく憲法解釈論の先進性を論ずる優れた論考です。アマールの議論の特徴として、政府主導の憲法五条による憲法修正と、人民主導の憲法制定会議による憲法修正を区別することにこだわることで、憲法の最高法規性と人民の自己統治の契機を確保しようとしている点があり、このことは立憲主義を優先させがちな日本の議論において、新しい視野を開くものとなっていると思います。特に評価できるのは、アメリカ憲法に関する議論を展開しつつ、最後に日本における憲法改正問題に触れている点です。単なる外国法の分析に留まるのではなく、そこから援用して日本の憲法の在り方を論ずる点は、外国の事例研究が陥りがちな、「他人事」を論じるに終わることを回避しており、評価できます。今後はぜひ、この点をより追求した議論を広げていっていただければと期待します。
後藤さんの、「ジェノサイド条約の成立におけるラファエル・レムキンの影響」は、ジェノサイド条約構想の生みの親であるレムキンが、いかなる背景のもとに、どのような理想を掲げてジェノサイド条約を構想するに至ったかについて、実に詳細にわたり調べ上げた大作です。そこでは、ユダヤ人たるレムキンの発想にはいかなる特徴があるのか、何故国内法ではなく国際法を求め、なぜ慣習国際法ではなく条約規範を求めたのかといった点に着目し、幼少期の経験や置かれた環境を掘り下げて分析しています。また共同謀議や犯人引き渡しに関する議論に多くを割いていることは、現在もなお論議の核にある戦争責任の問題に密接に関連し、現代的な意義を持つものです。ただ、レムキンの思想が完全に実現できたわけではないことで実際のジェノサイド条約に何が欠落することになり、何が矛盾することになったのか、その現実の課題にもう少し光を当てた議論を展開されることを今後期待します。
いずれの論文も、今後現代社会の諸課題を広く射程に入れた研究へと発展する、豊かな可能性を持つものであり、今後ますますのご活躍を期待しています。おめでとうございました。