石橋湛山新人賞

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第14回

 

受賞作

谷京氏

日朝貿易に関する日本政府の政策決定
―1960年代前半における直接輸送と直接決済の実現を中心に―

谷京氏
谷京氏

選考過程

石橋湛山記念財団では2008年度から、若手研究者を対象に、石橋湛山の思想(自由主義・民主主義・国際平和主義)に、直接・間接に関わる優秀な研究を表彰するとの趣旨で、「石橋湛山新人賞」を創設し、今年度で14回目を迎えました。
選考の対象とするのは①政治・経済・社会・文化・宗教等の人文・社会科学系領域、②原則として修士・博士課程の大学院生、③過去一年の間に『大学紀要』など機関誌、学会誌等に発表された論文で、④全国の主要大学人文・社会科学系学部、学会等に推薦を依頼した結果、応募のあったものです。第一次審査委員の審査を経て、選考委員の最終協議にて決定します。
最終選考委員は伊藤元重(学習院大学教授)、藤原帰一(東京大学教授)、酒井啓子(千葉大学教授)の各氏と石橋省三(当財団代表理事)の4名です。
14回目を迎える今年度は、8大学大学院から8編の応募論文が寄せられました。年々応募論文の質も高くなってきており、応募大学院も広がるなど、人文・社会科学系の若手研究者を支援する賞として定着してまいりました。2月22日に開催された最終選考委員会で、今年度の新人賞は、谷京(-橋大学大学院法学研究科博士後期課程)さんの「日朝貿易に関する日本政府の政策決定ー1960年代前半における直接輸送と直接決済の実現を中心にー」に授賞することとなりました。
なお、授賞論文の他に第1次審査委員会を経て最終候補作となったのは、市川周佑(青山学院大学大学院文学研究科)さんの「官房長官国務大臣化の政治過程ー佐藤栄作内閣における内閣官房強化の試み」、浅岡みどり(立教大学大学院社会学研究科)さんの「食農教育実践をサステナビリティ教育として再考するー加州サンタクルーズの有機農業とアグロエコロジーを基盤にしたLife Labの事例からー」の2本です。
例年3、4月に行ってきた授賞式ですが、残念ながら新型コロナウイルスの関係で、中止となりました。受賞者の谷さんには3月30日に東洋経済ビルまでお越し頂き、賞状、副賞等をお渡しいたしました。

選考委員講評

伊藤元重教授
1960年代までの日朝貿易の展開について、多くの記録を精査してまとめた研究である。評者はこの時期の日朝貿易についての分析にこれまで触れたことがなかったので、興味深く読むことができた。当時の日朝貿易の制限緩和について、政府内や経済界の間でどのような形で調整が行われていたのか、一般の読者にもわかりやすい形で丁寧に分析されている。
多くの読者にとっても、最近の日朝関係についての考察ばかりに触れることが多いだろうから、この論文が対象としている時期には全く異なった議論が政府の中で行われていたという指摘は興味深いものであるはずだ。資源の確保や経済的利益を主張する通産省や経済界、韓国との外交関係への影響を強く意識する外務省(アジア局)、そして決済や為替管理に関する制度のあり方の一貰性を求める大蔵省と、それぞれの役所の力点の違いの調整の中で、日朝貿易からの経済的な利益を強調する「経済の論理」が、韓国との関係強化を優先しようとする「冷戦の論理」よりも政府内で優勢になってきた。そうした流れが丁寧に分析されている。日朝貿易の制限緩和が進んだ特定の時期を研究対象として選んだのは良い選択であった。日朝貿易の展開について斬新な切り口を提供できるからだ。
今後は、この後の時期の流れとどのようにつながっていくのか、さらに研究成果が出てくることを期待したい。

藤原帰一教授
本論文は、1950年代から60年代にかけて日本と北朝鮮の関係がどのように展開したのか、貿易に注目して検討した業績である。この時代における日朝関係は北朝鮮帰国事業について論じた業績は少なくないが、貿易に関する研究は少ない。この論文は、外務省の反対を押し切って香港経由の日朝貿易が展開したこと、さらに60年代に入って日朝直接決済が実現したことを一次資料によって明らかにしており、1970年代より以前から通産省主導の下に日朝貿易の枠組みが作られていたことを説得的に示している。資料も博捜しており、これまでにないオリジナリティを持ちながら手堅い外交史分析を行っており、高く評価することができる。
本論文に課題があるとすれば、その分析のコンテクスト、背景である。北朝鮮に限らず、日本政府は経済外交をどのように進めてきたのか、韓国に対するアプローチの中で経済支援はどのように位置づけられ、それが日朝貿易とどのようにつながり、あるいは対立したのか。また、通産省の役割について興味深い分析が見られるが、それでは日本外交における通産省と大蔵省の役割は何か、外務省との関係はどのように展開したのかなど、枠組み・背景に関わる問題を掘り下げてゆけば、著者の研究はさらに説得的なものとなるだろう。

酒井啓子教授
本作品は、これまであまり研究されてこなかった日朝貿易関係の進展を追ったもので、特に先行研究がもっぱら社会党など野党による日朝関係推進の流れに着目したものはあっても、本研究のように政府自体の政策決定過程を論じたものはほとんどなく、画期的である。とりわけ、日韓関係とパラレルな形で日朝関係が位置付けられていたこと、北朝鮮の鉱物資源が当時の日本産業界にとって致命的に重要だったこと、そして外務省、通産省、大蔵省でそれぞれ異なる理解意識を持ち、その間での駆け引きのなかで、インフォーマル•あるいは間接的な形での貿易からいかに直接の関係に変化していったかに注目していることが適切な視点であり、独自性を持つ。そして、それらの資料を丹念に読み込んでいることが、その議論に強い説得性を持たせている。
なによりも、通産省と外務省の当時の関係において圧倒的に通産省が強かったこと、大蔵省が決済制度の問題を通じてこうした外交問題に関与していたこと、外務省内の対外関係の優先順位とそれに基づく局間関係が現在と異なっていること(北米局よりもむしろ対韓関係を重視してアジア局が前面にたって反対していたこと)など、現在と比較すると大きな違いが浮き彫りになっており、「発見」としても新奇性を持ち、評価できる。加えて、日本の省庁間の対アジア政策決定過程の分析としても非常にクリアな議論を提供しているため、今後の議論の発展にも大いに貢献することが期待できる。

受賞のことば

谷京氏
この度は、名誉ある石橋湛山新人賞に選んでいただきまして、誠にありがとうございます。日本の学界を代表する審査員の先生方よりご講評を賜る機会も頂戴し、大変恐縮しております。藤原先生のご指摘のとおり、拙稿にはさらに掘り下げるべき課題が残されておりますので、今回の受賞を励みに、今後も研究に邁進して参る所存です。
私の研究は、東アジア冷戦下における日朝貿易の促進要因を、歴史学的方法で明らかにしようとするものです。具体的には、貿易政策をめぐる日本政府内の省庁間対立に注目し、戦後日本の朝鮮半島政策には日韓国交正常化を重視する「冷戦の論理」だけでなく、日朝貿易の拡大を模索する「経済の論理」も存在したことを論じました。伊藤先生が仰ったように、拙稿を通じて、多くの一般読者に冷え切った日朝関係への興味•関心を抱いてもらえれば、幸いです。
また、一次史料の収集・分析について、審査員の先生方全員よりお褒めの言葉をいただきましたことは、歴史学の徒としてこの上ない喜びであります。そして、日朝貿易というニッチな研究であるにもかかわらず、談論の発展可能性を高く評価していただいた酒井先生のお言葉には、今後の研究に向けて背中を押していただきました。あらためて、審査員の先生方に御礼申し上げます。
今回、賞をいただきました論考の原型は、実は学部の卒業論文にまで遡ります。したがって、この研究の過程で多くの先生方に助けていただいたことは言うまでもありません。特に、いつも鋭いご指摘で問題意識の形成・深化を促してくださる権容爽先生、厳しくも温かいご指導で研究を軌道修正してくださる中北浩爾先生、そして私が研究の道へと進むきっかけを与えてくださった長谷川隼人先生に、心より拝謝申し上げます。
最後に、私の研究生活を物心両面から支えてくれる両親とパートナーに、この場をお借りして感謝申し上げ、結びとさせていただきます。