石橋湛山新人賞NEWCOMER
第15回
受賞作
門屋寿氏
権威主義体制下の選挙とその帰結
――抗議運動を抑制する選挙結果の実証分析――
受賞作
丹後健人氏
日本における退職消費パズルの検証
佳作
山口章浩氏
武力紛争当事者による国際人道法の尊重を
確保する第三国の義務
選考過程
石橋湛山記念財団では2008年度から、若手研究者を対象に、石橋湛山の思想(自由主義・民主主義・国際平和主義)に、直接・間接に関わる優秀な研究を表彰するとの趣旨で、「石橋湛山新人賞」を創設し、今年度で15回目を迎えました。
選考の対象とするのは①政治・経済・社会・文化・宗教等の人文・社会科学系領域、②原則として修士・博士課程の大学院生、③過去1年の間に『大学紀要』など機関誌、学会誌等に発表された論文で、④全国の主要大学人文・社会科学系学部、学会等に推薦を依頼した結果、応募のあったものです。第一次審査委員の審査を経て、選考委員の最終協議にて決定します。
最終選考委員は伊藤元重(東京大学名誉教授)、酒井啓子(千葉大学教授)、藤原帰一(千葉大学特任教授)の各氏と石橋省三(当財団代表理事)の4名です。
15回目を迎える今年度は、神戸大学、早稲田大学、東京大学、神奈川大学、横浜市立大学、青山学院大学、立教大学、慶應義塾大学、一橋大学、大阪大学、明治大学、京都大学の12大学院13研究科から13編の応募論文が寄せられました。年々応募論文の質も高くなってきており、応募する大学院も大きく広がり、人文・社会科学系の若手研究者を支援する学術賞として本賞は定着してまいりました。2月15日に開催された最終選考委員会では、第一次選考を経た最終候補作の3論文について選考しましたが、3作とも大変水準が高く、長時間の論議の上、次の2作に新人賞を授与することとしました。
門屋 寿さん(早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程)の「権威主義体制下の選挙とその帰結―抗議運動を抑制する選挙結果の実証分析」(『年報政治学2022-Ⅰ号)。
丹後 健人さん(横浜市立大学大学院国際マネジメント研究科博士後期課程)の「日本における退職消費パズルの検証」(『経済研究』73巻1号、2022年1月)。
また、山口章浩さん(神戸大学大学院国際協力研究科後期課程)の「武力紛争当事者による国際人道法の尊重を確保する第三国の義務」(『六甲台論集 ―国際協力編―』第22号)を佳作としました。
新人賞受賞者の門屋さん、丹後さんのお二人には、3月29日に東洋経済ビルにお越こしいただき、石橋代表理事から賞状、副賞等をお渡しいたしました。
選考委員講評
伊藤元重教授
同レベルの評価として次の二つを推薦した。
丹後 健人「日本における退職消費パズルの検証」
門屋 寿「権威主義体制下の選挙とその帰結―抗議運動を抑制する選挙結果の実証分析」
今回の応募作品は、例年に比べて粒が揃っていると感じた。その中でも本賞として二作品は、共に明快な分析を提示している。それぞれの分野での既存の研究をわかりやすく整理した上で、仮説をデータを使って丁寧に検証している。二つの作品の分野が経済学と政治学と大きく異なり、扱うデータも前者はパネルデータ、後者はクロスセクションのデータと異なるので、両者の優劣を決めるのは難しいが、どちらも優れた作品であると評価した。
丹後氏の論文は退職後の消費が顕著に減少すること、いわゆる「退職消費パズル」について、実態をパネルデータを用いて分析検証している。前半でこのテーマの既存研究のサーベイが提供されているが、明快な記述となっている。その上で、パネルデータを利用することによって、退職消費パズルの存在を明確にし、それが退職前の貯蓄額の多寡と、そしてさらにはその消費者の時間選好の大小に依存していることを明らかにした。よくまとまった研究であると思う。
ただ、難点があるとすれば、対立仮説としてライフサイクル仮説にこだわるあまり、退職後の消費の特異性を説明する他の仮説に触れていないことが気になる。例えば、退職後にも貯蓄が行われていることがある現象を「未解明な点」として片付けているが、ライフサイクル消費の中に遺産動機を入れれば簡単に説明できることであり、それに関して膨大な文献があるので、そうした点に触れていない点が気になった。また、消費理論において流動性制約があれば消費のパターンが単純な合理性から外れることも多くの注目を集めたが、この論文の中には触れていない。筆者が問題としている退職前の貯蓄額と退職後の消費に流動性制約は重要な意味を持つように思われるが、時間選好だけに説明を求めるのはどうだろうか。
門屋氏の論文では、権威主義国家の選挙と暴動の関係について、前半で文献のサーベイが展開されている。このサーベイ部分については少し物足りないと感じた。選挙不正の姿とか、暴動の規模など、選挙の実態とそれへの国民の反応についてもう少し踏み込んだ分析が欲しかった。この点の不満は、この論文の実証分析への不満ともかかわる。筆者はデータの分析の冒頭部分で、抗議活動があったケースの方が一般的に得票差は小さいと示している。それが分かっているならなぜそこから踏み込んでさらに統計分析をするのか、その理論的根拠(仮説)をより明快にする必要がある。このあたりの議論の展開が説得的ではない。得票差と抗議活動の有無は、背景にある権威主義体制の姿にともに影響を受けそうであるので、因果関係も含めて理論的かつ実証的な議論を詰めていく必要がある。
ともあれ、仮説をきちっとたて、実証分析を行ない、かつその統計的な頑健性にまで踏み込んでいるので、大学院生の研究としては優れていると思う。受賞候補であると考える。
残りの一作品、山口章浩氏の「武力紛争当事者による国際人道法の尊重を確保する第三国の義務」は、現在のウクライナ情勢に関する第三国の役割のあり方などを考えると、重要なテーマを扱っていると思う。論文の内容は専門外であるので私には筆者の貢献を評価することは難しいが、資料や分析を丁寧にフォローした作品であると感じた。ただ、私のような門外漢が読んでもこの論文の貢献がどこにあるのか非常にわかりにくい。これは上記の二作品とは違う。また、筆者が論文の中で引用している様々な記述が、どのような基準で選ばれているのか、このテーマに関する法律の解釈や運用の実態をバランスよく取り上げているのか、筆者には判断ができなかった。
酒井啓子教授
今回の三点は、いずれもそれぞれの専門分野での研究手法と研究動向を十分に踏まえ、手堅くまとまった良作であった。
まず丹後健人氏の「日本における退職消費パズルの検証」は、「消費は生涯を通じて一定であり予期できる所得の減少には消費は反応しない」という標準的な消費理論であるライフサイクル論に対して、実際には退職後に消費が減少することが見られるという矛盾を取り上げて、「日本家計パネル調査」を使用し、多数の統計データをもちいて立証を行ったものである。退職者は定期退職が予期され貯蓄によって備えることができるはずなのに、実際には所得の減少に平行して消費も減少している現実を明らかにし、日本において退職消費パズルが存在することを示した。その原因として「退職前の準備、つまり不十分な貯蓄」を上げ、さらには年齢の高い男性、教育年数の少ない人が貯蓄が低く、その結果消費が低下することを論じている。
日本社会の高齢化、社会保障システムの見直しが迫られている今、丹後氏の取り上げたテーマは重要であり、政策的な貢献が期待されよう。ただ、右の結論はやや常識的な指摘にとどまっており、さらに踏み込んで、消費減少を招く原因についてより現代的な要因を抽出し、精密な因果分析を行うことが期待できる。本論文は、その出発点として、高く評価できる。
二つ目の受賞作である門屋寿氏の「権威主義体制下の選挙とその帰結」は、権威主義体制のもとで実施される選挙の結果を、単なる操作として無視するのではなく、選挙結果のあり方によって、その後の政府批判の抗議運動が低迷するか高揚するかが決まる、ということを、65年間にわたる膨大なデータを分析して証明した計量実証分析として精緻な議論を展開している。緻密な配慮のもとにデータ解析を行っており、先行研究が取り上げてこなかった要素を丹念に拾っている点で、その手堅い分析手法は高く評価できよう。
しかし、本論文が提示する結論は「与野党の得票差が大きいと抗議運動は行動を起こしても実効性がないと考えて運動が低迷する」というもので、ある意味では経験的に想像しうる単純な結論である。また、選挙的権威主義体制といっても幅広く、一般化していいものか疑問が残るし、抗議運動のあり方も、野党支持で発生する抗議運動が想定されているものと思われるが、逆に政党政治自体に反発しての抗議運動の高揚もあるのでは、といった疑問が浮かぶ。とはいえ、先行研究を丹念に検証することで議論の過程で生じうる反論に、ひとつひとつ考慮しながら議論を進めている点は、分析の単純化のなかで零れ落ちる可能性のある要因にも十分配慮している姿勢がみられ、評価できる。
上記二つの受賞作に共通していることは、それぞれの学問分野のなか必要な先行研究をきちんとサーベイし、確立されたデータの収集、分析方法に則って、手堅く着実な分析を行った上で成果を提示している点である。両論文ともに、専門学術誌に掲載されていることは、その分野で高く評価されていることを示している。しかし一方では、結論や議論の立て方に新味は見ることはできず、従来の視座や学術的「常識」にメスをいれるような野心的要素はない、という点でも両論文は共通している。紙幅の制約はあるとはいえ、お手本通りのデータと分析の展開にとどまるのではなく、より複雑で多様な現実を、いかに統計学的データを駆使して掘り下げて分析できるかが、課題といえよう。
一方、山口章浩氏の「武力紛争当事者による国際人道法の尊重を確保する第三国の義務」もまた、国際法研究の基本的分析手法に忠実に、国際人道法の基本であるジュネーブ条約第一条に関する積極的義務と消極的義務について、論じている。これまでの議論を丹念に整理することで、第三国が武力紛争当事者に対して人道法の順守をどこまで迫ることができるのか、とりわけ第三国には紛争当事国の人道法違反に対してこれに対応する消極的義務が有するのか、積極的義務を有するのか、という点に光を当てている。そこで強調されているのが、なおも積極的義務の主張と現実の運用が大きく乖離し、整合していないという現状である。
本テーマはロシアのウクライナ侵攻を眼前にする今、まさに喫緊の課題であり、アクチュアルな課題だといえよう。だが、検証された事例のいずれもがすでに国際人道法適用の困難さが指摘されてきたものであり、それを踏まえて、いかに人道法と現実の乖離を乗り越えるかが重要であろう。今後の発展的な議論の展開を望む。
今回の受賞作三点は、それぞれの専門分野で先行研究でなされてきた議論を十分踏まえたうえで、テーマ設定においても分析手法においても卓越した、優れた論文であった。しかし、その一方で、既存の学問を乗り越え、打破しようというような新規性に溢れた姿勢は、残念ながら見られなかった。若手研究者としては、まずは基礎と王道を極めることが重要であろうから、新人賞としてはふさわしい三作である。そのうえで、次作では、ぜひ、大きなステップアップを目指していただきたい。
藤原帰一教授
優れた論考が並ぶなか、門屋寿氏と丹後健人氏の論文を石橋湛山新人賞受賞作とすることに合意した。
門屋氏の「権威主義体制下の選挙とその帰結」は、権威主義体制において行われてきた選挙に注目する論文である。門屋氏の仮説は選挙における与野党の得票率の差が大きい場合には抗議行動の発生が抑制されるというものであるが、これは選挙の不正に対する反発など主観的・規範的動機ではなく、与野党の得票の差という実益ともいうべき要因による政治行動の分析として興味深いものであり、また仮説の立証も説得力を持って展開されているだけに、石橋湛山新人賞にふさわしい、比較政治学の発展に寄与する優れた論文として評価することができる。ただし、成功確率を推し量った上での慎重な意志決定と政治的機会構造による説明の優位を示すためには他のアプローチと比較する作業が求められることは指摘しておきたい。
丹後氏の「日本における退職消費パズルの検証」論文は、退職後の消費行動について、日本家計パネル調査をデータとして分析を行ない、退職後の消費は実際に減少しており、その消費減少は貯蓄の多寡によって説明できると考える。作業仮説も立証もともにわかりやすく、説得的であり、テーマの現代性とリアリティも含め、石橋湛山新人賞に相応しい業績として評価できる。なお、退職者がなお貯蓄を行うことは必ずしも理解できない行動ではないと感じられるが、この印象は評者が既に退職した一人であるという事情によるものかも知れない。
山口章浩氏の「武力紛争当事者による国際人道法の尊重を確保する第三国の義務」は国際人道法に違反する行為に対して紛争当事国ではない主体がどのように、また何を根拠として取り組むことができるのかという課題について、ジュネーブ条約を尊重する義務が及ぶ範囲を消極的義務と積極的義務に区別した上で検討した論考である。規範とその運用との間に大きな距離が開いた国際人道法の分析として説得力のある論考であるが、取り上げられた課題の実践的意義には疑う余地がないとはいえオリジナリティに富んだ結論とは言えないため、受賞作ではなく佳作としての評価に留まった。
今回の新人賞候補作はいずれも好論文であるため、どれを受賞作とするか、選択は容易ではなかった。新人賞二点、佳作一点という選考結果となったのは優れた論考が並んだためであることを申し添えたい。
受賞のことば
門屋寿氏
この度は、数ある応募論文の中から拙稿を栄誉ある石橋湛山新人賞に選んでいただき、誠にありがとうございました。丁寧かつ鋭い講評をくださった先生方にも厚く御礼申し上げます。同時受賞の丹後さんに置いて行かれぬよう、これからも精進して参る所存です。
本稿は、権威主義体制の下での選挙の結果が、野党やその支持者たちによる抗議運動にいかなる影響を及ぼすのかについて論じたものです。一般に、選挙は市民が自分たちの代表を選ぶ民主的な制度として認識されています。しかし、今日では、民主主義的とは到底いえないような国においても、選挙が定期的に実施されています。本稿では、そのような選挙が、どのような政治的な意味を持つのかを、選挙結果と選挙後の抗議運動という側面に着目し、実証的に分析しました。このテーマに関する研究は、欧米諸国では近年盛んに行われているため、英語での研究蓄積は急速に進んでいます。一方で、いくつかの素晴らしい論文や書籍が出版されてはいるものの、日本語で書かれた研究は十分でないと感じております。本稿を通じて、日本の読者の方々に権威主義体制下の選挙という現象に興味を抱いていただけるならば、それは望外の喜びです。
今回の受賞に際して最も感謝を申し上げたいのは、日頃よりご指導を賜っている早稲田大学の河野勝先生です。もともと本稿は、専門の政治学者に読まれることを強く意識した、先行研究の穴を埋めるような論文でした。そのような狭い読者を想定して書かれた本稿が、多少なりとも広がりを持つ論文になったのは、全体の構成から細部の表現にまで至る、先生の粘り強いご指導のおかげです。先生のお力添え無くしては、受賞はあり得ませんでした。
最後に、私の受賞を支えてくれた家族に感謝を述べさせてください。異なる分野ではあるものの、同じ研究者として日々刺激しあえるパートナーと、私の集中力を削ぐことに並々ならぬ情熱を注ぐ愛猫に感謝いたします。ありがとうございました。
丹後健人氏
この度は名誉ある石橋湛山新人賞をいただき、誠にありがとうございます。石橋湛山の思想に関わる論文の表彰とのことで身に余る光栄でございます。また大変貴重なご講評を賜った審査員の先生方に心より感謝申し上げます。お褒めの言葉を頂けましたことは大変うれしく思います。そして本研究において検討しなければいけない課題および政策的含意についてご指摘いただきました。ご指摘を基に今後もさらに、研究に磨きをかけていく所存です。
本研究は、退職後に消費水準が低下するという「退職消費パズル」について検証した論文です。経済学の理論的予測と実証的発見との矛盾が退職消費パズルと呼ばれています。本研究の分析対象者は、退職者のため高年齢者です。人口の高齢化問題は日本が抱える課題です。高年齢者が実際に直面している現状や、課題が何なのかについてはデータを基に議論する必要があります。しかし利用可能なデータが限られる等の要因により、高年齢者の行動を詳細に分析した研究は必ずしも多くありません。したがって高年齢者の行動、特に日常生活においてかかせない消費行動のデータ分析は重要です。そこで本研究では日本家計パネル調査を用いて退職消費パズルを検証しました。
最後に、このような素晴らしい賞をいただくことができたのは日々の研究指導をしてくださる先生方のおかげです。いつも親身になってご指導してくださる太田塁先生、研究のきっかけを与えてくださった中園善行先生に心より感謝申し上げます。特に、太田塁先生には日々の研究指導で研究の面白さや奥深さ、大変さを学べることがとてもうれしく思います。先生方のご指導がなければこのような賞をいただくことはできなかったと思います。改めて感謝申し上げます。また研究に集中できるよう生活面で支えてくれている両親にも感謝申し上げます。研究に専念できるのは周囲の支えがあってこそであるということを忘れずに今後も精進して参ります。