石橋湛山新人賞NEWCOMER
第9回
受賞作
井上 弘樹氏(青山学院大学大学院文学研究科 史学専攻 博士後期課程在籍)
台湾における寄生虫症対策と日本の医療協力 (1960年代から1970年代)
(『史学雑誌』第12編、第8号所収)
選考過程
若手研究者の優れた研究論文を顕彰する本賞ですが、昨年、一昨年は残念ながら授賞の水準に達した対象論文がなく、該当作なしとなりました。
今年度は2年ぶりに 井上弘樹氏(青山学院大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程=応募時、本年4月から青山学院大学・川村学園女子大学非常勤講師)が授賞されました。
最終選考に当たられたのは伊藤元重(学習院大学教授)、酒井啓子(千葉大学法政経学部=授賞時)、藤原帰一(東京大学教授)、若田部昌澄(早稲田大学教授)、の各氏と石橋省三(当財団代表理事)の5名です。
受賞論文は、
「台湾における寄生虫症対策と日本の医療協力(一九六〇年代から一九七〇年代)」(『史学雑誌』125編第8号)
受賞論文の他に第1次選考委員会を経て最終候補作となったのは、以下の2点です。
許昕(金沢大学大学院人間社会環境研究科人間社会環境研究学専攻)「中国都市部における医療保険制度のあり方に関する研究―厦門市の補充医療保険制度に着目して―」
中村信隆(上智大学文学部哲学研究科哲学専攻博士後期課程)「卑屈であるとはどういうことか―カント「徳論」の議論を手掛かりとして―」
授賞式は3月30日、選考委員の他、指導教官の飯島渉青山学院大学教授、井上氏のご両親、財団関係者などが出席して、東洋経済ビルでおこなわれました。はじめに石橋省三代表理事から賞状・記念トロフィー、副賞が井上氏に授与された後、出席の選考委員、藤原帰一教授・酒井啓子教授から授賞論文についての講評がなされました。
選考委員講評
藤原帰一教授
「2年間受賞作がないという状況だったので、もし今年もなかったらどうしようと思っていたのですが、井上さんの論文を拝見して、〝ああよかった。これでこの賞は救われた〟。3回連続受賞作なしにならなかったのは、井上さんのおかげです。ありがとうございます。」と始めにユーモアを込めて発言、「井上さんの授賞論文は、着実な実証的な歴史論文です。日本の海外協力というと、ほとんどが政府開発援助でインフラストラクチャーの研究ですが、ここでは、医療協力を取り上げている。海外協力の研究としても、面白いところを取り上げている。
植民地時代の戦前と戦後の連続性に目をつけておられる。日本・台湾の関係史という視点から見た場合に、独自の連続性に注目されており、〝なるほどこういう視点もあるのか〟と思った。このように多様なひろがりのあるテーマを、広がることを禁欲されておられる。さらに広がりを捕まえることへの、期待をこめて新人賞にふさわしいものとして判断しました。」
酒井啓子教授
「私は選考委員を引き受けたのが、2年前、受賞作なしという年から、選考委員になったわけです。ですので授賞式は今年が始めてになります。
昨年の選考は難しかった。小さくまとまって、ここぞという発展性の見えないものが多かった。今年は、最終選考に残った中の2点がこれは面白い、将来大きく開くのではないかと思いました。井上さんは、その中でも最も実証的で、着実に論をすすめておられる。私が面白いと思ったのは、国際的な方法と日本の寄生虫症対策の方法が違っていたと言う点。歴史学の研究でありながら、医学的・病理的な点まで深く勉強されている。実証研究としても手がたい。一読して今回の授賞にふさわしいと判断いたしました。
国際政治学を専門とする私としては、少し枠を広げて、援助の中で医療の持つ役割というものを、研究して欲しい。植民地政策と医療というのは、世界的に重要なテーマですから。」と述べられた。
この後、井上氏から受賞にあたってのことばが述べられた後、指導教官の飯島渉教授の励ましのことば、財団関係者からのお祝いのスピーチなどがあり、授賞式は閉会となりました。