石橋湛山賞prize
第43回
受賞作
スタンフォード大学社会学部教授 筒井 清輝著
人権と国家 ―― 理念の力と国際政治の現実〈 岩波新書 2022年2月刊 〉
防衛省防衛研究所主任研究官 千々和 泰明著
戦争はいかに終結したか ―― 二度の大戦からベトナム、イラクまで〈 中公新書 2021年7月刊 〉
受賞者略歴
スタンフォード大学社会学部教授
筒井 清輝(つつい きよてる)氏
1971年東京都生まれ。1993年京都大学文学部卒業。2002年社会学博士(スタンフォード大学)。ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校助教授、ミシガン大学社会学部教授等を経て、現在スタンフォード大学社会学部教授。同大ジャパン・プログラム所長、人権・国際正義センター所長。東京財団政策研究所研究主幹。
主な著書に『Rights
Make Might: Global Human Rights and Minority Social Movements in Japan. Oxford University Press,
2018.』、『Corporate Social Responsibility in a Globalizing World. Cambridge University
Press,2015.』(共編著)、『The Courteous Power:Japan and Southeast Asia in the Indo-Pacific Era. University of
Michigan Press,2021.』(共編著)がある。
防衛省防衛研究所主任研究官
千々和 泰明(ちぢわ やすあき)氏
1978年生まれ。福岡県出身。2001年広島大学法学部卒業。2007年大阪大学大学院国際公共政策研究科博士課程修了。博士(国際公共政策)。内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)付主査などを経て、現在防衛省防衛研究所戦史研究センター安全保障政策史研究室主任研究官。
主な著書に『大使たちの戦後日米関係―その役割をめぐる比較外交論
1952-2008年』(ミネルヴァ書房、2012年)、『変わりゆく内閣安全保障機構―日本版NSC成立への道』(原書房、2015年)、『安全保障と防衛力の戦後史
1971~2010―「基盤的防衛力構想」の時代』(千倉書房、2021年、第7回日本防衛学会猪木正道賞正賞)、『戦後日本の安全保障―日米同盟、憲法9条からNSCまで』(中公新書、2022年)がある。
選考過程と授賞理由
2022年度・第43回の「石橋湛山賞」(一般財団法人石橋湛山記念財団主宰、株式会社東洋経済新報社・一般社団法人経済倶楽部後援)は、筒井清輝氏の『人権と国家――理念の力と国際政治の現実』(岩波新書、2022年2月刊)ならびに千々和泰明氏の『戦争はいかに終結したか――二度の大戦からベトナム、イラクまで』(中公新書、2021年7月刊)に決定しました。全国の有識者から推薦いただいた40余の著作・論文の中から、厳正なる審査を行いました。最終選考委員会での選考に残った両氏の著作は極めて水準が高く、昨年に引き続いて、2作品への同時授賞となりました。 筒井清輝氏の『人権と国家』は、人類普遍の理念としての「人権」の確立を歴史的に解明しています。他国の内政に干渉してまで、普遍的人権を守るべきだとする規範の確立について、奴隷貿易撤廃運動から世界人権宣言、国連人権委員会や人権NGOの活動など、具体的な例を引きながら、体系的に分析しています。国際的に人権外交の重要性が増すとともに、国内的にも人権への配慮が求められる現在、日本の「人権力」の強化が今日的課題だとしています。 一方、千々和泰明氏の『戦争はいかに終結したか』は、第1次、2次世界大戦からベトナム、イラク戦争までの歴史的事例研究を通して、戦争終結の形を、パターン化し考察したユニークな書です。「将来の危険」と「現在の犠牲」のバランスの中で、優勢な勢力が「紛争原因の根本的解決」か「妥協的和平」のどちらを選択するかで、さまざまな戦争終結の形がありうるとします。戦争が何故始まったかの研究は多いが、戦争の終わらせ方、出口を論じたものは少なく、日本の安全保障を考える上で有意義な書として評価されました。 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻によって、世界は新たな安全保障と人権の危機にさらされています。両書はウクライナ侵攻以前に上梓された著作ですが、現在の状況を考える上でも、示唆するところが多く、その点からも高く評価され、同時授賞とすることといたしました。
授賞式[2022年11月21日(月)]について
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選考経過について(前国立公文書館館長 加藤丈夫)
選考委員の加藤です。今年度の石橋湛山賞に決定した、筒井清輝さんの「人権と国家」、千々和泰明さんの「戦争はいかに終結したか」の2作品について、私から選考の経過をご報告します。
まず「人権と国家」ですが、本書では、人類普遍の理念である「人権の確立」に関わる長い活動の歴史が詳しく紹介されています。 それは第二次世界大戦を経て、1948年の国連総会における「世界人権宣言」として結実したのですが、それ以降冷戦が激化して、体制が異なる大国の政治的な思惑に翻弄され、理想の実現には程遠い厳しい道を歩むことになりました。 しかし、そうした中にあって、NGO諸団体の粘り強い活動で、「人権の確立」が徐々に世界に浸透しつつある経過が、具体的な事例を引用しながら丁寧に解説されています。 そして、著者は日本のこれからの人権外交のあり方として「日本が国際人権のリーダーとなり、国際社会でのルールメイキングの中核を担える日が来ることを願う」と述べています。 これまで、こうした問題について、正面から取り組んだ専門書も啓蒙書も少なかったのですが、今日的課題としての人権の確立を考える上で参考となる著作であるとの評価でした。 もう一つの受賞作である「戦争はいかに終結したか」では、第一次・第二次世界大戦から湾岸戦争に至る大きな戦争について、戦争開始から終結までの経過が戦勝国と敗戦国双方の側から詳しく紹介されています。 戦争に伴う犠牲によって戦争の目的がどの程度まで達成されたかを分析し、優勢勢力側が「将来の危険」を重視して紛争原因の根本的解決を図るか、「現在の犠牲」を重視して妥協的和平を選ぶかによって、戦争の「出口」が様々な形態になることが解説されています。 著者は「戦争を防ぐには、平常時でもそれがどのような形で終結するかを検討することが大切だ」と述べています。これまで、戦争がなぜ始まったかを研究する書物が多かった一方で、戦争の終結について論ずる試みは少なかったのですが、こうした考察がユニークであるとの評価でした。 また、こうした考察から今後の日米の安全保障政策についてどのような示唆が得られるかを述べている点も興味深い指摘でした。 ちょうどこの2作品が刊行されてから、ロシアのウクライナに対する軍事侵攻が始まりました。その中で私たちは、軍事侵攻前は静かに暮らしていた普通の人々の「人権」が無残に踏みにじられる姿を直視することになったし、エネルギーや食糧の輸送路の遮断によって戦争当事国だけなく多くの国々が深刻な影響を受けることを経験しています。 現在の私たちの最大の関心事は、この戦争がどのような形で終結するか、その過程で人々の人権がどのように守られていくかにあると言えるでしょう さらにわが国の周辺国であるロシア、中国、北朝鮮などの動きに対して、これから日本としての安全保障体制の確立にどう取り組んでいくかも大きな議論になっています。 今回石橋湛山賞を受賞された2作品は、担当した編集者のご努力もあって、新書としての構成もしっかりして読みやすいものになっています。
それを含め、私たちが「弱い立場にある人たちの人権の擁護」や「紛争の出口までを視野にいれた抑止力の強化」を考える上で参考となる著作であるというのが、選考委員会の評価でした。これで選考委員会の報告とさせていただきます。ありがとうございました。 -
授賞式にあたって(東洋経済新報社代表取締役社長 駒橋憲一)
皆さん、こんにちは。東洋経済の駒橋と申します。本日は、第43回石橋湛山賞授賞式に当たりまして、石橋湛山ゆかりの東洋経済新報社の社長として祝辞を述べさせていただきます。まずは、本日受賞されました筒井様、千々和様、どうもおめでとうございます。
最近、またコロナ感染が広がってきまして、第8波と言われていますけれども、昨年に続きまして今回も、こういう形でリアルで授賞式を開催できたというのは非常によかったなと思っています。やはりこういうお祝いの気持ちですとか、同じ価値観を共有するためには、物理的に同じ空気を吸っていることはすごく大事だなということを実感しているところであります。 この数年間、世の中は非常に大きく変わってまいりました。いわゆるコロナ前からトランプ旋風とやらで、民主主義が非常に劣勢になってきているという状態がまだ続いております。さらにパンデミックによって世の中は大きく変わりました。中には、在宅勤務が広がって、働き方改革が進むとかといった、前向きなこともありますし、デジタル化が進んでいるということもありますけれども、逆に日本がいかにデジタルに遅れているかということが明らかになりまして、やっぱり日本はなかなか変われない国なんだな、変わることを嫌がる国なのかなというふうに思ったりします。 また最近は、円安ですとかインフレとかが進みまして、これも日本経済がいかに世界から取り残されているのかということが明らかになったと思います。さらにまたウクライナの戦争ですとか、台湾海峡の問題ですとか、国際情勢も非常に不安定になっております。そういうことで、残念ながら、民主主義、自由主義というものが劣勢になっておりますし、日本社会が劣化していることが明らかになったという状況かと思っております。 そうした中で、石橋湛山賞は、目的としまして、「石橋湛山の自由主義・民主主義・国際平和主義の思想の継承・発展に最も貢献したと考えられる著作に贈られる」とされております。つまり、そうした良質な著作を世の中に広げたい、たくさんの人に読んでもらいたいということが狙いだと思っております。それによって、石橋湛山が思い描いたような民主主義、国際平和の世界を強固にしていくことを目指していると思っております。
そういう意味で、本年も、この趣旨に沿いまして、お二方の著作が受賞されました。この受賞によりまして、この本がもっともっと注目されて、すばらしい知見が広がることをお祈りいたしまして、私のご挨拶とさせていただきます。本日はどうもおめでとうございました。 -
受賞のことば(筒井清輝)
石橋湛山のリベラリズムと国際人権の未来―理念と現実の相剋の中に見る希望 ご紹介にあずかりました筒井清輝と申します。東洋経済新報社の皆様、石橋湛山記念財団の皆様、選考委員の皆様、このような素晴らしい賞をいただきまして、本当にありがとうございます。この本を書くに至るまでには、多くの国際人権を研究する研究者の仲間達、それから、アメリカの大学で国際人権の授業を何十年もやっておりますけれども、その中で接する機会を得た学生の皆さん、そして、研究のための聞き取り調査などや実地調査の過程で知己を得た、人権の現場で活躍されている国際人権機構やNGOなどの皆様など、いろいろな方々のご協力、ご知見をいただきまして、そのおかげで書き上げることができた本でございます。岩波書店の特に私の編集を担当していただいた島村さん、それから、今日おいでいただいている吉田新書編集長、それから、そこにつないでいただいたというか、ご紹介いただいた、ずっと以前からお世話になっている防衛大学校長の久保先生、本当にありがとうございました。このたび、このような形で賞をいただくことができたのは、本当に皆様のおかげだと思っております。それから、家族にも一言お礼を言いたくて、今日はアメリカの方にいますので参加できませんでしたが、妻の綾と娘のジュリアとエリン、私が夜中遅くまで部屋で本を書いているのを温かく見守ってくれたことに感謝したいと思います。それから、両親、今日は母の幸子が来ておりますけれども、父の清忠と母の幸子に健康に育てていただいて、小さい頃からいつも知的好奇心を刺激してもらいながら育ったことが、今日この場に立たせていただくことにつながったものと感謝しております。
ご案内の方もいらっしゃると思いますが、父の筒井清忠は、石橋湛山の最初の本格的な評伝と呼べるものを書いた歴史社会学者であります。この本が出たのが1986年。実はその資料集めに当時中学生だった私が駆り出されまして、新聞社などについていって、コピーなどの手伝いをしたことをよく覚えています。国際人権的に言うと、児童労働の問題と関わってきますが(笑)、その後に焼肉を食べさせてもらったりと温かい思い出があります。その頃、石橋湛山の人となりに詳しかったわけではないですけれども、やはりその頃から聞いている名前ということで、勝手にものすごい親近感を持っております。それから、父の研究の内容なども聞く中で、石橋湛山という人は、恐らく日本の憲政史上でも最も尊崇の念を集める首相だったと認識しておりまして、それは今でも変わらないのではないかと思います。そんなすばらしい歴史上の偉人の名前のついた賞をいただいたということで、本当に身に余る光栄であります。
石橋湛山という人については、現実に根づいたリベラリズムを信奉し、称揚されてきた方だという印象を持っております。もともとは非常にリベラルなジャーナリストであって、そこから日本の総理まで上り詰められた。そんな中でも一貫して自由主義、国際平和主義、民主主義を大事にされてきた、良質なリベラリズムを体現するすばらしいジャーナリストであり、政治家であったと。彼の思想は、拙著『人権と国家』の特に副題の部分『理念の力と国際政治の現実』という所と、すごく親和性が高いのではないかなと考えております。
拙著では、普遍的な人権の理念というものが、国際政治の現実に翻弄されながらもどのように発展してきたかについて書きました。国際人権は、いろいろな紆余曲折を経て、いろいろなハードルを乗り越えながら、国際社会でもほぼ他に匹敵するものがないような強い規範として確立されてきた歴史があります。国際条約が発効し、国連内外の国際機構などが設立され、理念として、規範として国際人権は確立されてきたのだけれども、その理念が実現を見ているかといえば、力が物を言う国際政治の現実が立ちはだかって、なかなか難しいところがある。そのあたりの理念と現実との相剋みたいなものをいろいろな例に基づいて書いた本であります。だから、読む方によって、楽観的な本と読む方もいらっしゃれば、悲観的な本と読む方もいらっしゃる。国際人権の歴史について事実に基づいて書いていますので、そうなることはある意味必然とも言えます。第二次大戦後の世界で英米を中心につくり上げられてきたリベラルな国際秩序は、何度も危機的状況に直面してきました。冷戦当時、内実のある人権条約がなかなかできなかった時期、冷戦が終わって国際人権の黄金時代が来たかと思えば、ルワンダや旧ユーゴスラビアなどでの大虐殺に際して国際人権機構が無力さを露呈した1990年代、それから、9.11の同時多発テロが起こった後で、アメリカという国際人権のバックボーンとなっていた国が、拷問のような、非常に古典的な完全に正当性を失ったと思われていた人権侵害を、テロを防ぐという名目の下に肯定し出した今世紀初頭、など何度も国際人権は停滞し、もう終わったのではないかと言われてきたわけです。今日、特に権威主義勢力の台頭、民主主義の危機みたいなことが言われておりまして、国際人権も危機を迎えていると言う識者もいます。世界情勢を見渡すと、中国やロシアなどの権威主義国家が台頭して、世界中で民主主義的な体制の中にいる人口の割合がどんどん減ってきているという危機感があちこちで共有されていると思います。民主主義国家の中を見渡しても、ポピュリズム勢力の台頭がありまして、特に私が住んでおりますアメリカなどでは、トランプ政権以降、国内の分断がさらに進み、陰謀論みたいなものがはびこって非常に大変な状況があります。そうした中で、ロシアがウクライナに侵攻してブチャなどで虐殺を起こしているとか、香港で民主主義運動が抑圧されているといった状況があっても、国際社会にできることは非常に限られている、国際人権というのは無力ではないかと考える人がいても無理もない。そのような民主主義と人権の危機の中で、これからどのようにして民主主義勢力、人権を守りたいと思っている国家、NGO、市民が立ち上がっていけばいいのかということに関して、拙著では悲観的になりすぎず、現実に沿ったうえで少し希望的なメッセージを出したいなという思いもありました。これからもアメリカの分断は簡単には解決しないですし、ロシアや中国のような勢力が幅を利かせている状況もそんなに簡単には変わらないのだけれども、これまで1948年の世界人権宣言以降の営みの中で、誰しも人間であるだけで普遍的な人権を持っているのであるというメッセージを世界中に広げてきた国際人権も簡単に消えてなくなるわけではない。これからも続く国際人権の強さは、人権は誰もが持っている権利であり、この権利を理解さえしていれば、誰でもそれを主張することができるというところにあります。そして、そのような普遍的な人権の侵害を目撃したのであれば、当事者以外であっても、何らかの発言をしたり行動を取る一定の責任もあるのだというメッセージもかなり世界中に広がっていると思います。そのような人権規範を内面化した勢力というものが、市民、NGO、国家など様々なレベルで存在しており、彼らがいろいろなところで声を上げることが終わらない限りは、国際人権は何回も危機を迎えながらも、これからも発展していくのではないか。このような希望的なメッセージで本書を書き終えたつもりであります。
最後に、石橋湛山という人の思想の中で特に私の心に刺さるものがありまして、これは『週刊東洋経済』に1972年、石橋湛山が亡くなる少し前に書かれたことなので、ちょっと読ませていただきたいと思います。「私はかねて、人生の事はただ理屈だけでは理解できぬと考えてきた。理屈は我と彼とを離隔し、同情は我と彼を融合する。ここでいう同情とは、相手に憐憫の情をいだくことではなく、相手の立場を理解する努力を怠らないことだ。これは人生のことすべてに通ずるものであり、国と国とのつき合いでも例外ではない」と。拙著でも書かせていただいたのですが、他者への共感というのは人権の広がりにとって重要な要素でした。自分と同じ経験をした他者との共感(シンパシー)というのは誰しも割と感じやすいのですが、エンパシー、自分に同じ経験はないかもしれないけれども、苦しんでいる人の痛みを感じられたり、他者への共感というものを感じられることは簡単ではない。この他者への共感が広がったのは比較的最近のことですが、それができるようになってから人権理念というものが広がってきたということが、人権の歴史の中で大事な点で、それにすごく通ずる考え方を石橋湛山も持っていたのだなということを、この言葉を読んで思いました。そういうような他者への共感、他集団、自分と同じ集団ではないところに属する人々の立場を理解する努力、そういったものがどんどんこれからも広がっていくことで、民主主義の未来であるとか、国際人権の未来も、もう少し明るいものになっていくのではないかと思います。特に現在、悲観や諦観に陥りやすい国際状況がありますので、現実に即した希望的なメッセージを、これからも研究活動を通して発信し続けていきたいと思っております。本日は本当にすばらしい賞をいただきまして、ありがとうございました。 -
受賞のことば(千々和泰明)
戦争の「出口」について卓見を示した石橋湛山 ご紹介にあずかりました防衛研究所の千々和泰明でございます。このたびは名誉ある石橋湛山賞を授与いただく光栄に浴することができ、大変恐縮に存じ上げます。石橋省三代表理事をはじめ石橋湛山記念財団関係者の皆様、東洋経済新報社社長の駒橋憲一様、選考委員会の奥村洋彦様、加藤丈夫様、田中秀征様、柴生田晴四様、山縣裕一郎様に御礼申し上げます。本賞へのご推薦をたまわりました先生、本日の授賞式にご出席下さった皆様にも感謝申し上げます。とりわけ、本日ご来駕をたまわりました、恩師であられる村田晃嗣先生、元上司の庄司潤一郎先生には、これまで大変なご指導をいただきました。また、受賞作は中公新書の田中正敏編集長と2人でつくり上げた本ですので、田中編集長とご一緒にこのような日を迎えることができたことを大変うれしく思っております。
私が石橋湛山という、総理大臣を務めた政治家の名前を初めて知ったのはいつだったのかは分かりません。ただ学生時代に、湛山が政治家として総理大臣という頂点を極めた人物であっただけでなく、「小日本主義」という理念を掲げた非常に開明的な言論人でもあったことを知り、感銘を受けたことを憶えております。加えまして、個人的にも湛山には親しみを感じるところがございました。私の九州の実家もお寺でして、日蓮宗ではなく浄土宗ですけれども、またもちろん、湛山の幼少期の苦労とは比べられませんが、勝手に親近感を覚えておりました。そのような湛山の名を冠した賞を拙著に対しいただくというのは、大変感慨深いことで、誠にありがたく存じます。
今回受賞の対象となりました拙著『戦争はいかに終結したか―二度の大戦からベトナム、イラクまで』は、タイトルにあります通り、「戦争終結」をテーマにした本です。戦後の日本は、第二次世界大戦の反省に立って、「戦争をいかに防ぐか」に関心を集中させてきました。戦争の回避を第一に考えること自体は、まちがいではありません。しかし、万が一、平和が破れたとき、いかに理性的に事態を収拾するかという議論は、乏しかったのではないか。本書の問題意識はここにあります。本書は、両世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争といった20世紀以降の主要な戦争を題材に、「戦争がいかに終わるか」を分析したものです。そして、戦争終結というものは、一つは「紛争原因の根本的解決」、もう一つは「妥協的和平」、この二つのジレンマのなかで決まるのだ、という見方を提起いたしました。これは偶然ですが、本書刊行の翌月、アフガニスタン戦争がカブール陥落というかたちで終わったこともあり、新聞や雑誌でも本書を広くご紹介いただきまして、『週刊東洋経済』でも書評が掲載されました。さらにそれから半年後には、ロシア・ウクライナ戦争が始まったことから、戦争終結論の本の著者ということで、「戦争の終わり方」についてメディア等で解説させていただくこともございます。そのきっかけは戦争開始直後に、「東洋経済オンライン」に「ロシア・ウクライナ戦争の終わり方」について執筆させていただいたことでした。「戦争の終わり方」について考えなければならないというのは、あらゆる戦争の犠牲者に思いをはせるとき、喜ばしいことではないかもしれません。一方、私たちは戦争の終わり方を考えなければならないという現実から目をそむけることはできないとも考えます。本書により、戦争終結論・出口戦略論が社会に認知される一助になったとすればありがたく思います。
私が本書を執筆した動機の一つは、私自身、総理官邸・内閣官房に安全保障・危機管理担当のスタッフとして出向した経験にもとづいています。総理官邸には危機管理センターがあり、緊急事態における初動対処の体制が整えられています。また、第2次安倍晋三政権下で日本版NSC(国家安全保障会議)が創設され、私自身内閣官房でその創設準備作業に携わったのですが、こちらが安全保障政策の「司令塔」機能を果たしています。ただ、仮に緊急事態が発生した場合、初動対処を超えて、どのような出口を見すえるのか、という点についての議論も必要だと考えました。決して戦争を容認するということではありませんけれども、中国の軍事的台頭や北朝鮮の核能力向上、そして今日のロシアの暴走など、日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増すなかで、戦争終結について理論や歴史に学ぶという態度は重要なのではないかと感じたのです。しかも日本は、先の大戦で、戦争の出口戦略という点でも色々と失敗をしています。
実は石橋湛山という人は、先の大戦の「出口」に関して、驚くほど正鵠を射た分析を、事態の推移と同時進行的におこなっています。たとえば戦争末期の日本は、一撃和平であるとかソ連仲介のような「奇跡」にすがるようになるわけですが、湛山は1945年6月23日に著した「ベルリン最後の光景」という評論のなかで、ドイツの敗因は「奇蹟の発生をまてるため」と見、「奇蹟は今日の戦争には現われない」というリアリスティックな洞察を披歴しています。また、ポツダム宣言がいわゆる「無条件降伏」を要求するものなのではなくて、同宣言のポイントが「日本国国民の自由に表明せる意志に従い、平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立せられる」としていることにあるので、日本の再生は可能であると見抜いていました。これが45年9月22日という、おそらく多くの日本人がまだ前途を大いに悲観しているタイミングでの評論であることは驚くべきことでありましょう。また、湛山が8月25日の「更生日本の門出」と題した評論のなかで、戦争終結要因としてソ連参戦を重視していることは、拙著と通じるところがあります。先の大戦の終結にあたり、湛山のようなものの見方ができた人は少数派でした。このことは、湛山という言論人の偉大さとともに、私たちが戦争終結の問題について考えを深めていく余地があるということを表しているようにも感じます。
今日、ロシアによるウクライナ侵攻や、台湾有事への懸念の高まりなど、湛山が生涯にわたって論じ続けてきた平和と安全保障の問題について、改めて議論が深められつつあります。このたび、本書に石橋湛山賞をたまわりましたことで、国際平和の在り方に一人でも多くの方に関心を寄せていただく機会になればうれしく存じます。これからも、安全保障の研究を通じて、微力ながら社会に貢献し、名誉ある石橋湛山賞の名に恥じぬよう、精進してまいりたいと考えております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。本日は本当にありがとうございました。